食物依存性運動誘発アナフェラキシー症状記

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物依存性運動誘発アナフィラキシーの症状が出てから、その原因が判明するまでの経緯を、なにかの参考になればと思い記録しておきます。

 今から21年前の1995年(平成7年)1月17日 「阪神淡路大震災」、当時40歳代半ばでしたが、原因不明の意識障害が起こる症状があり神戸の大学病院の心療内科に5年ほど通っていました。突発的意識障害が起こるため、当時の診断病名は「てんかん」と言われていました。

 病院の先生からは、突然発作が出るのでそれを抑える薬を処方しておくとのことで常にその薬を飲んでいましたが、会議中に椅子に座っていると直ぐに寝てしまって、隣の同僚に起こしてもらったり、話をしていても雲の上を飛んでいる気分で、相手の話がよく理解出来ない状況で、十分に仕事ができる状態では有りませんでした。
 会社がよく辞めさせず勤務させてくれたものと感謝しています。


 そんな体の状態で、「阪神淡路大震災」 
当時は神戸港湾設備の据付・補修工事の責任者で、下記の写真のコンテナークレーン(当時50台前後有ったと思います)の復旧工事の責任者を任されました。

(写真は、インターネットで見つけたものです)
img_20160310-204314.jpg   img_20160310-204347.jpg

傾いたクレーンに登るのは、たいへん怖いです!

壊れたコンテナークレンを撤去して、クレンーメーカーさんが作ったクレーンを据え付けて行く作業です。
30m前後の高所作業が中心で、毎朝クレーンに登る時に、ここで発作が起こったら死ぬんだな・・・と思いながら、慎重に階段を1歩1歩登ったことを鮮明に記憶しています。
 当時は、神戸港の復旧が急がれていていましたが交通網が壊滅状態でしたので作業員を手配出来なくて、九州の
作業員を動員してチャーターした高速船で対岸の堺の製鉄所の港内から毎日数百人を送り込んでもらって対応していました。
 復旧工事の1年間は全く休みが取れず不眠不休そのものでしたが、危険な現場作業も沢山有りましたが全くの無事故無災害で完遂出来ました。人間非常な緊張感の中での作業は神経が研ぎ澄まされて危険が予知出来るのではと、貴重な経験をしました。
 幸い、発作も全く出ずに生き残れました。

(続)次はどうやって食物依存性運動誘発アナフィラキシーが判ったかを書きます。






 

プロフィール

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大西安全コンサルタント事務所
神戸市在住、あんぜん活動は関西がメインですが全国出張致します。
千葉・東京・豊橋・津・北九州・福岡で活動しました。
性別
血液型
O
自己紹介
機械と物流の安全に取り組んでいます。
趣味
ゴルフ/テニス/陶芸
職業
労働安全コンサルタント
保有資格
CSP労働安全コンサルタント(第359号)
労働安全コンサルタント(機−第682号)
セーフティアセッサ(ISO12100/JIS9700)
セーフティベーシックアセッサ(防爆電気機器)
RSTトレーナー(職長・監督者教育)
電気取扱作業特別教育インストラクター(低圧)
粉じん作業インストラクター
動力プレス・シャー業務特別教育インストラクター
足場の組立て等業務特別教育インストラクター
酸欠・硫化水素危険作業特別教育講師養成講座修了
振動工具取扱い作業教育インストラクター
有機溶剤作業主任者技能講習修了
特定化学物質作業主任者技能講習修了
第1種衛生管理者
メンタルヘルスU種
環境社会検定(eco)
電気主任技術者3種
電気工事施行管理技士1級
電気工事士1種
ほめ達2級
農業機械安全アドバイザー

「ゴルフやり直し」進行形

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